下総国衙と国府台城の遺跡散策(福田)

 守谷市は古代から中世の行政区域として下総(しもうさ)国に属していました。下総国の国衙(こくが)は現在の千葉県市川市の国府台(こうのだい)にあったとされています。守谷の住民は奈良や京都、鎌倉の政府と直接関わるより、下総国衙の国司や役人と関わり行き来することが圧倒的に多かったと推定されます。現在の守谷住民である我々は「千葉県市川市」と聞いても、「それ何?」と反応する程度の意識しかありませんが、過去は違っていたと思われます。
 初夏の蒸し暑いが幸い曇りで直射日光を浴びることが少ない一日、市川市の国府台まで足を延ばしてみました。TXの「守谷」から「南流山」、武蔵野線に乗り換えて「西船橋」、総武線に乗り換えて「市川」に着きました。約1時間の乗車時間でした。
 市川駅から14号線に出て、西に行くと、北に向かった長い直線のやや細い道に出ます。国府台の南端に位置する弘法寺(ぐほうじ)の参道です。途中で万葉集に歌われた伝説の美女に関する「真間(まま)の継橋(つぎはし)」を通る。突き当りから10m以上の高さのある急勾配の岡(台地の始まり)が立ち上がり、蹴上の高い石段を上ると弘法寺の山門です。寺域はよく整備されており現在でも信仰を集めているようです。丁度蓮の花が咲いていました。

図ー1:「真間(まま)の継橋(つぎはし)」の説明板
図ー2:弘法寺(ぐほうじ)の山門

 境内を北に抜けると千葉商科大学です。規模は小さいが、まとまったよく整備された構内を許可を得て西側に抜けると、松戸街道のバス道路に出ます。向かいは和洋女子大学です。街道を北に上がると、右手が改装中の野球場です。5月27日の東京新聞ウェブニュースによれば、市と県の調査の結果、野球場から千葉商科大学の場所が下総国衙の所在地と有力視されるとのことです。この辺りに国衙の庁舎が建っていたのでしょう。
 更にすすむと、右側が国立国際医療センター国府台病院です。左側が東京医科歯科大学です。その先の十字路を西に曲がると、片側桜並木が続く古い道に入ります。住宅地の中を通るギリギリ片側一車線の通りです。そのうち道幅を広げるために桜が伐採されるのかなと心配されます。道が下り始めたところが国府台城跡(里見公園)です。
 公園に入ると、正面はバラ園です。数十種のバラが色とりどりに咲いています。左手の坂を上がる途中に展望台があり、江戸川を越えて東京の景色がよく見えます。関東平野は平坦です。江戸幕府は江戸城を見晴らすことのできるこの場所に城を作らせなかったようです。城の石垣が綺麗に残っているのは、江戸時代以前ではなく旧陸軍の遺構なのかも知れません。園内には石棺の残る前方後円墳遺構や市川市最高標高地点(30.1m)の標識があります。
 戦国時代には後北条氏の下総への進出・拡大を巡って、小弓公方足利氏や里見氏との間に大きな合戦が国府台で勃発しました(第一次、第二次国府台合戦)。守谷の相馬氏も無関係ではなく、その合戦に巻き込まれて四苦八苦していたのでしょう。
 帰りは、松戸街道に出てバスで駅前に戻りました。駅前に2棟のマンション「アイ・リンクタウン」が建っており、片側の最上階には展望施設があります。ここから国府台は勿論、関東平野が一望できます。夜景が綺麗だそうです。入場無料。

図ー3:里見公園の入り口
図ー4:公園展望台から東京方向の眺め