本多重次の菩提寺である取手市青柳の本願寺で、住職の講話を16人で拝聴しました。
本願寺の創建は1396年となってますが、伝説ではもっと古く、元は柏市布施弁天の近くにあったようだと。
家康が関東に移封された1590年に重次は蟄居の処分になり、井野村3000石を与えられました。邸宅のある場所は現在の井野台一丁目19番地一帯で、その時は真言宗普門院がありました。普門院を陣屋とし、重次の嫡男成重が1613年頃までは使用していたと思われます。
1673年に火事になり、普門院は今の井野994番地に移転しました。その跡地は今は真言宗城山観音があります。取手駅から藤代方向に行き常磐線と常総線が分かれる辺りになります。
重次の蟄居の際には、重次に誕生から幼少期まで世話になった家康の次男結城秀康がいろいろと面倒を見ています。家康は親豊臣側の秀康と重次が仲がいいのを警戒していました。
そういった過去のことは忘れられ、今は常磐線と常総線のガタガタという線路音が響いています。
真言宗城山観音堂
城山観音堂表札
2024年10月5日 多々納三男