山谷は今も悲哀が漂っている(多々納)

私のサラリーマン生活で、36歳から53歳の17年間は、東京と藤代を通った。今日の仕事はつらかったと言いながら南千住駅を5000回は往復した。
昭和43年岡林信康 山谷ブルースが流行った。
人生70歳を過ぎたら興味は物や金ではなく人が趣味になりました。(笑い)いやですね~。
南千住駅改札口から貨物線路を越えてスカイツリー方向へ。徒歩4分で、荒川区と台東区の境である 泪橋交差点に着きます。そこからが山谷のドヤ街です。台東区日本堤二丁目、台東区清川(以前名は山谷)です。
ありました。安い簡易宿泊所やビール缶を持ち歩いている60歳以上のそれ風のおっさんやおばはん。
一時は日本の高度成長期にビルや橋の建築に貢献された方々です。キツい肉体労働や出稼ぎ労働者の孤独感、焼酎をあおるなどの印象はどこに行ったのか。
私の予想では、山谷は昼間から酔っ払いが道路上に寝っ転がっていて、その人達のすだれをまたがって進むでしたが、今はその情景はありません。
10年前に東京都が古い建物や公園にあるテントを撤去して綺麗になりました。
簡易宿泊所やその筋の方々を見ていたら、私は高校生の時代に堤防工事や川の底の泥上げアルバイトを思い出しました。
ゴーゴーゴー🎵 風がないているゴゴゴ~  あしたのジョーになった気分になり、若い時の情熱がよみがえってきました。

   簡易宿泊所
道端に座っているおじさん
   定食屋 安い!
綺麗に整備された町筋